セルフメディケーション

月曜から御めかし系女子が優しい嘘を求める日々を綴るブログ

イエローパンジーストリート

「大切なお知らせ」という文字からは不穏しか伝わらず、職場であかんあかん終わりやとソワソワしながら同僚の方に慰めてもらいつつ迎えた16時、あ〜やっぱりなという感じでした。漏れ聞こえていた噂は本当だったんだなと思いました。

十五祭は本当に楽しくって嬉しくって、自分のこれまでの鬱々とした気持ちや不満が一気に浄化された気がしていました。GR8ESTを観たときとは違う、ただ純粋な楽しさがありました。なんだかメンバーもファンも気負いがなくて、あ〜エイトだなあ、と感じました。これからはきっと楽しいことしかない!そう思っていたし、思いたかった。
後出しジャンケンが勝つのは当たり前ですが、思い返せばあれもこれも、未来が決まっていたからなのかなあと感じることばかり。

私が迎える二度目のお別れはただただ現実で、ドラマチックに自分に酔ってさよならを言うのは無理っぽいし、かと言って憎いとか恨みつらみでも全然ない。寂しさが売るほど募るけれど、もう泣こうが喚こうが遅いし意味がないことがわかっている。なぜなら二度目だから。

すばちゃんが去るのは、もしかしたら、自分が関ジャニ∞というグループを飲み込んでしまうことを危惧して、そうなってしまう前に自分から離れることを選んだからのかもしれない。十五祭の後、一緒に行った人とそんな話をしました。彼のしたいことがグループ自体を支配して、色を真っ赤に塗りつぶしてしまうことを恐れたのかもしれない。そんなことは勝手な予測かもしれないけれど、正直すばちゃんがしたかった(であろう)ことは私が求めるアイドル像とは違っていて、彼がいれば成り立たなかった十五祭を観ていて、全く違うこともないと思いました。
そしてやっぱり、一部かじられたそこは、もとに戻るのは難しかったんだなあ。

私は亮ちゃんの作る曲がとても好きです。歌詞の言葉遊びもメロディーも、大好きです。これから秋になりますが、ひんやりとした風が吹きぬけてちょっと肌寒い時期、スケアクロウを聴くのが毎年楽しみです。あの曲もこの曲も、亮ちゃんがいなくなったエイトが演奏する曲が、もう一生聴けないかもしれないこれからが、私はすごく怖いです。
亮ちゃんがエイトに置いていってくれるものが大きすぎて、消化するのが難しい。

いわば同業他社の転職なんか珍しいものでもなんでもなく、職場に縛り付けられるいわれは何一つありません。今の職場でしたいことができないのなら、したいことができる他の職場を探せばいい。我慢をしながらそこに居続けるなんて、誰もきっと強いていない。
一般人なら普通なのに、職種が「アイドル」となれば大きく異なります。そこにいることを強いられます。笑って手を振ることを、特定の誰かを愛すことを悟られないことを、楽しんでいる姿を強いられます。その強制と引き換えにお金を受け取るのです。アイドルとは因果な生き物だな、と私は常々思います。
しかしその道を選んだのは、他の誰でもないそのアイドルです。きっかけは能動的であれ他動的であれ、今ステージに立っているのは、彼の意思に他なりません。亮ちゃんは自ら選んで、私の前に、スポットライトのもとに立ってくれていました。歌って踊ってはにかんで、うつくしいものをみせてくれました。
亮ちゃんにはありがとうしかありません。素敵なパフォーマンスを、曲たちを、楽しそうな姿を、いとおしい表情を、ほんの少しでも触れられる機会をくれてありがとう。

すばちゃんの時もそうだったけれど、何も本人が死ぬわけであるまいし、一生の別れではないじゃないか、と、自分でも思います。でも、ジャニーズ事務所所属のアイドルであった彼は死ぬのです。もう一生会えない存在になるのです。
私は関ジャニ∞錦戸亮が好きです。それは関ジャニ∞を離れた錦戸亮を知らないからです。だから今、私が知る限り全ての錦戸亮が死んでしまうのとおんなじだ、と思って、すごおくさみしい気持ちです。
ただ、ジャニーズ事務所所属の錦戸亮が死んでしまうと同時に、知らない錦戸亮が産まれるはずです。そんな彼とどんな気持ちで邂逅するのか、ひとつも想像がつきません。
亮ちゃんは何をしたいのだろう?歌?演技?それとも全く別のフィールドに立つの?新たに生まれる錦戸亮は、いったいどんな表情をしているの?

亮ちゃん本当にありがとう。ジャニーズ事務所に入ってくれて、私の目につく場所に、スポットライトの当たる場所に立ってくれて、本当に本当にありがとう。私が知っている亮ちゃんは、おそらく亮ちゃんの全ての何億分の一でしょう。それでも私は、私が知る限りのあなたが好きで好きでたまりません。本当にありがとう。さみしがりなあなたが、一人で海に出て、悲しい思いをしませんように。楽しい思いだけを抱けますように。ずっとスポットライトの当たる場所にいてくれますように。手は届かなくたっていいから、見えない場所へ落ちてしまったりしませんように。亮ちゃんのこれからが、前途洋洋なものでありますように。