セルフメディケーション

バリンタン系女子が優しい嘘を求める日々を綴るブログ

目の前の向こうへ

むしゃくしゃする、片付けようのない気持ちにかこつけて、この時間にカップラーメンを食べた。缶ビールを開けた。明日の朝の体重も胃もたれも二日酔いも後悔も、自分のことは棚に上げて、全部彼のせいにしてしまおうと思ったからだ。

 

これはまた今度言おうと思っていることでもあるが、私はバンドスタイルより、歌って踊るアイドルスタイル(?)の方が好きだ。もちろんバンドスタイルだって好きだけれど、アイドルスタイルの方がもっと好きだ。だから正直、最近のバンド傾倒にはちょっとモヤモヤする部分がある。

 

そんな私でさえ、7人の関ジャニ∞が最後に演る曲は、バンドで、LIFEで、間違いなかったんだと思えた。それぞれが楽器を持ち歌う姿こそが関ジャニ∞だった。まるで現状を鑑みて、最後のためにあつらえられた曲かのように似合っていた。全ての歌詞が感情に寄り添い、全ての音が気持ちを代弁していた。

 

泣くくらいならやめるのやめればいいのに。この期に及んで私はそんなことを考えていた。泣くくらい辛いなら、誰も強いてなんかいないんだから、やめればいいのに。周りを巻き込んで悲しい思いももどかしい思いもさせて、それでも張本人が泣くなんて、勝手にも程があるんじゃないかと思っている。

 

それでも、そんなことは百も承知で、人に迷惑をかけてでも、彼はこれからの道を選んだのだと、考えるまでもなく理解できた。隣で歌えず泣く亮ちゃんに何も思わないわけがない。「せめてもう一回、もう一回 君がくれた笑顔で笑いたい」という歌詞が、亮ちゃんを思えてたまらなかった。

会見でふて腐れたように、手放しの寿ぎで送ってくれなかった大倉くんに、何も思わないわけがない。他のメンバーや、周囲の人たち、そして、渋谷すばるという存在との別れに怯える私たちに、きっと何も思わないわけがない。

 

そんな全てを踏みつけて傷つけて捨てて、ちがう道を歩くことを選んだのだろう。舗装された道を逸れて、畦道を切り拓く決意をしたのだろう。泣くほど別れたくない、愛しい人たちとも別れて、一人で歩くことを決めたのだろう。

 

素敵な歌を、音を、曲をありがとう。これまで与えられた全てを噛み締めながら、生きていこうと思います。きっと寂しさは薄れて、何も思わなくなっていくのでしょうね。それでもそれが普通です。私も自己責任で夜中にラーメンを食べ、缶ビールを開け、翌朝の胃もたれと体重と二日酔いに苦しむようになるでしょう。

 

渋谷すばるのこれからが、関ジャニ∞のこれからが、それらを愛する我々のこれからが、愛に溢れた素晴らしいものでありますように。

さよならの向う側

はじめましてと出会ってしまった限り、さよならを言わなければならない。触れられない存在であろうが、言葉を交わせない機械であろうが、物であろうが人であろうが、生きていようが意識がなかろうが、全てにおいて同じである。さよならを言いたくないのなら、出会ってはいけない。さよならを言うのは苦しく辛く、寂しく悲しい。愛しいものであればあるほど、さよならなんて言いたくない。

言いたくないなら出会わなければいい。知覚したものをすべて、抱いた感情をすべて捨てられるのらなら、出会ったことをなかったことにすればいい。出会わなければこんなに疲れることだってなかった。きっと平静な気持ちでいられた。

 

渋谷すばるという“アイドル”の存在は、激しく瞬く星のようだ。その光に目がくらみ、前も後ろも分からなくなる。閉じた瞼の真っ暗な視界に、ひとつかがやく強い光。鮮烈な印象に、その存在だけが忘れられないまま記憶に残るのだ。

 

最初、私は彼に別段意識を向けてはいなかった。歌うまいなーと思うくらいで、特別な好きもなかった。何なら、番組のシャッフルメドレーでふざける姿に嫌な気持ちすら抱いていた。

ただ、同じグループにいる人を追いかける限り、目に入ってしまうのは普通のことで、もちろん見たくなかった訳ではないが、積極的に見ていた訳でもない。その見えているだけという感情が、見たい、その存在がなければならない、という感情に変わっていくのだから、不思議なものである。

 

ちょうど私が関ジャニ∞に関心を持ち出した頃、渋谷すばるは、“アーティストになりたいアイドル”と“アイドル”という存在の過渡期だったのではないかと思っている。カメラを睨み、髪を短く刈り、髭を生やす姿はおおよそ“アイドル”と呼ばれる存在とは程遠かった。正直ニワカの私には怖かった。微笑みをたたえて胃に優しく摂取できるアイドルを求めていた。彼はグループ活動とソロ活動を同時にこなす中で、比重は“アーティスト”に偏り、彼にとって“アイドル”という肩書きは邪魔なものになっているのではないか、と感じてしまっていた。

しかし、その内に髭がなくなり、髪が伸び、カメラに向かってピースをしながら笑いかけ、彼は“アイドル”を自称するようになった。もしかしたら、私が知らないだけでずっとそう自称してきていたのかもしれないが、それはまるで自分に言い聞かせるようだった。自分は“アーティスト”ではなく“アイドル”である。はち切れそうな感情を一所懸命押さえ込み、型におさまろうとしているようだった。私の求める、やわらかな感触の胃に優しい“アイドル”なのに、彼を見るたび、よくよく知りも知らないくせに、ああなんか無理してるなあ、と思ってしまった。

 

彼が退所するという報道が前もってふれたとき、そんなことを思っていたくせに、「嘘だ」と一番に思った。“アイドル”であることに、本当かと、無理はないかと感じていたのは確かだけど、“メンバー”であることには寸分の疑いもなかった。それはもちろん、何ならこの後に及んだ今だって疑いはない。私には知り得ないところで、彼らのそれぞれ混じり合う感情に、嘘は全くないのだろうと、関わりもない人間が確信してしまうほどに、結びつきは強く思えた。

それでも報道は本当だった。その日はあまり忙しくない仕事をいいことに、スマートフォンにかじりついていた。定刻にはもちろん公式サイトは繋がらず、若干の時差を経て報道が本当であることを知った。同じ日に記者会見があり、本人の口からその事実を伝えられた。

 

ボーッとしたまま会見の映像を確認し、インターネットの記事を漁った。横山くんが泣いていた。かわいそうだと思った。私はその日泣けなかった。案外ドライなもんだな、自担でなけりゃこんなもんなんかな、とすら思った。

今思ってみれば、その場で泣かなかったのは、ほぼ当事者である大倉くんが、ファンという遠くて近い存在が抱く疑問を全て本人にぶつけ、その答えを教えてくれて、不安にならなかったからなのかもしれない。不安になると泣きたくなる。なんで?どうして?という疑問が先行し、予想は様々なところへ派生する。必要のないことまで手を伸ばし、勝手に苦しくなっていく。そういう不安を先回りして、不必要な部分を潰してくれていた。だから、彼の感情に対する不安はなかった。ああそうなんだ、と受け入れることができた気がしていた。

 

友達とも話をした。退所するんだって、本当だったんだね、どうなるんだろうね、さみしいね。母とも話をした。本当だったんだって、どうなるんだろうね、すばちゃんアホやなあ。ぼんやりと思った言葉を落とすだけで、気持ちは不思議と凪いだままだった。

 

何日かして、帰宅途中の車の中で、いつものように音楽を流していた。信号待ちをしているとき、アーティストも曲もごちゃ混ぜに再生していたスピーカーから流れてきたのは、関ジャニ∞の夕闇トレインだった。ぼんやりと聴き始めてから、私は大声で泣いてしまった。彼が関ジャニ∞からいなくなると知らされて、私は初めて泣いてしまった。さよならを言わなければならないのだと思い知らされてしまった。置いてけぼりを食らっていたさみしいという感情が、急に実感を持って目の前に現れてしまった。受け入れられていた気がしていただけで、本当のところは何も受け入れられてなんかいなかった。

 

バカみたいに泣く自分こそが世界で一番バカに思えた。何も死ぬわけじゃないのに、と思った。思ってすぐ、“アイドル”の渋谷すばるは死ぬじゃないか、と思ってしまった。二度と出会えない存在になってしまうじゃないか。彼の進む道が、彼自身が、私の好きな彼を連れ去ってしまうのだ。

 

退所の日までがまるで余命のように思える。他人の人生を変えてしまう責任なんか私は持てないから、他の誰かが彼を諭して考えを変えてくれないかなと思った。やめるのやめましたって言ったって誰も怒るわけないんだから、そう言ってくれないかなと思った。

 

先程テレビで、番組最後の収録をして、花束を受け取る彼を見た。ひとつ物事の終わりを見た。“アイドル”の渋谷すばるは、確実に終わりに近づいている。

私はまだやめるのやめましたって言わないかな、と思っている。踊らなくたっていい、もし嫌だったなら愛想も振りまかなくていい、ただ関ジャニ∞に所属していてほしい。あの歌のこのパートにはその声が必要で、まだあの歌もコンサートで聴けてないのに?決断に対する不安はなくて、でも、寂しさが心に満ちて揺れている。

 

“アーティスト”の肩書きだけとなった渋谷すばるを追いかけるかどうか、今の私はその人を知らないから、まだわからない。どハマりするかもしれないし、まあいいかなとなるかもしれない。

それでも、たくさんのすてきなものをくれた“アイドル”の渋谷すばるを愛しながら、これから先の、見えるもの見えないもの、あらゆるものがどうなっていくのかを見つめながら、彼のいない人生をなんとなく歩んでいけるんだろうなと思っている。

バリンタン系女子がご褒美にとびっきり甘いお菓子をもらった日のお話

普段私は、月から金曜、月に一度の週末出勤、それでも追い付かない時には追加の休日出勤をしたりしなかったりしながら働く、どこにでもいる普通のOLをしている。キャリアを追いかけるバリキャリでもなければ、職場なんて腰かけ程度でおいしい結婚相手を探すの、などといったキャピキャピもない。夜には繁華街の明かりどころか人っ子ひとりおらず、車の必須な田舎に暮らし、自分が生きるために働く、普通のOLをしている。好きなことを仕事に選んだわけでもなく、かといって嫌で嫌で今すぐ辞めてしまいたいということもない。同僚や上司に恵まれつつも、デスクに向かって書類を整備し、取引先に電話を掛け、来客の対応をする毎日を送っている。

 

そんな私が社会人となり数年して、突然アイドルという趣味に復帰した。きっかけはまたいずれ勝手に書くが、小学生の頃以来にはっきりと知覚したアイドルという存在は、記憶と同じように格好良く、ときめきに溢れ、ひたすら好きしかなかった。

雑誌を読んで、CDを聴いて、DVDを観て、出演する番組を録画した。文字に起こされたインタビューは彼が何を考えているかを教えてくれたし、彼の感情がダイレクトに伝わるCDを何度も何度も何度も聴いた。画面に映る存在はきらきらと明るく、素敵な笑顔を見せてくれた。もちろんそこにコミュニケーションはなく、会話は常に一方通行である。独り言を言う方ではないが、お酒を飲みダラダラと述べる心の声にはもちろん返事がない。それはアイドルという存在に限らず、誰に対してだってそうである。声に出さない限り、詳細な感情は相手に伝わらない。隣にいる誰かにだって、名前を呼び、自分の意思を言葉にしなければ、全てをわかってもらうことなどできるはずがない。

 

確かにそう思っていたし、経験してきた上でその感覚が正しいと信じていた。なのに、平成29年9月10日、その感覚はまるごとひっくり返されてしまった。

 

その日は「関ジャニ'sエイターテインメント ジャム」の最終公演だった。私は前日に新幹線に乗り、初めて九州に上陸した。当日は朝遅くにダラダラと起き、コンサートがあるというのにムーミンカフェに行ったりフクロウカフェに行ったりと、場面で予定を詰め込みまくっていた。

それらの予定を急ぎ足でこなし、いざヤフオク!ドームに向かうとなり、駅を降り「えっ遠っ」となった。田舎者は数十メートルだって車に乗る。加えて大阪の駅すぐの環境に甘やかされていた結果だ。ゾロゾロと同じ場所に向かう人の列に混ざり、川沿いを歩いた。

無事ヤフオク!ドームに着き、何を買うためかは忘れてしまったが、物販に並んだ。そうしていよいよ時間となり、入場列に並んだ。

 

正直、チケットの入場ゲート表示で、ある程度の期待はしていた。それでも持ち上げて落とされるのが怖くて、どうせスタンドのいつもらへん、埋もれるとこだよ、期待するなよ、と自分に言い聞かせていた。

そんな風にドキドキしながらチケットを渡し、返された印字された感熱紙には、アリーナの文字があった。ボーッとしたまま向かった席には、パイプ椅子が置かれていた。

 

コンサートが始まってしまえば、スタンドより圧倒的に見えにくかった。傾斜がなく、しかも、前半はバンドスタイルで、メインステージにいるメンバーに大きな動きもない。肉眼でメンバーをみたいから、一所懸命目を凝らしてみたり、オペラグラスを使うのだけれど、気付けば見やすいスクリーンばかりをオペラグラスで観ている。

楽しい!楽しいんだけど!アリーナってこんな感じか・・・。思っていたアリーナは、縦横無尽に動くトロッコ、間近に降りてくるメンバー、うちわに対するダイレクトな反応。今回はそれらとはまた違うんだ、と思っていた。

 

しかし、声が聞こえるけど姿が見えないとオペラグラスで必死に探したJAM LADYから、空間は私の思うアリーナへ変化した。端から近いこともあり、間近がトロッコを通り、バックステージにメンバーがいる!ムービングステージが上を通り、普段じゃ見えない角度からメンバーがみえる!

興奮しているうちに、時間は怒涛に過ぎていった。ただ、見えやすかったのはバックステージと隣を通る時くらいで、センターステージやメインステージは相変わらずよく見えなかった。それでも、テンションはだだ上がりだった。

 

青春のすべてが終わって余韻に浸りながらも、私は少し寂しさを感じていた。なぜなら大倉くんが隣の通路を通らなかったからだ。みんなもちろんキラキラしていて、こんなに間近で見られてよかった!そう思う気持ちは嘘なんかじゃない本当だけれど、残念に思う気持ちも本当だった。

 

そうしてエイトコールの中、再びメンバーが出てきてくれた。寂しさは吹っ飛び、初めて聴かせてくれるという応答セヨに再びテンションはぶち上がった。メンバーと映画のシーンのスクリーン、どっちを観ればいいのかわからなかった。どっちもよく観れなかった。そしてやっぱり、大倉くんの来ないな、とか思ってしまっていた。

 

その後、本当の最後の曲、I to Uのイントロが流れてきた。イントロが流れ始め、丸ちゃんが歌いだそうとする頃、遂にトロッコはバックステージから大倉くんを乗せ、私の隣の通路を走り出したのだ。

 

その後の一連の動きは、私の頭には2カットしか残っていない。自作のうちわを目の下まで上げて大倉くんの動きを追いかける自分を俯瞰で見ている図と、私を見つめ、頷く大倉くんの図の2カットだ。自分の図はほっといて、大倉くんの図は、光が眩過ぎて、その見つめる視線しか残っていないと言っても過言ではない。

 

声を出さずして、コミュニュケーションを取れてしまった。見つめる目から感情を汲み取られ、そればかりかその感情を肯定されてしまったのだ!!

 

ハッと気付けば、私より隣にいた母がはしゃいでいた。大倉くんあんた見て!!うんうんって言ってたで!!!と。

そして、隣の席にいた方すらも、大倉くん、頷いてくれてましたね、と、微笑みながら声を掛けてくれた。

この隣にいた方には、感謝してもしきれない。おそらく私が持つうちわで大倉担と察したのだろう、大倉くんがこちらの通路を通り近づいて来た瞬間、なんとしゃがんで、私をより大倉くんに見えやすい状態にしてくれたのだ。あの時隣の席だった丸担さん、このご恩は一生忘れません。私もあなたのような人になろうと思います。本当にありがとうございました。

 

その後コンサートは終わり、合流した友人に起こったことを話したが、いまいち感情をうまく伝えることができなかった。本当にお前にしたのかよ・・・思い込みでは?と思われてるかな、と怯んだし、二人の間だけのコミュニュケーションを、1から10の感情すべてを伝えられるか?と思ったが、あの瞬間の感情はきっと、0.1も伝えることができないとわかってしまったからだ。

 

あれからもうすぐ1年が経つ。眩しい照明の中、私を見つめる大倉くんの図を何度も反芻しながら、嫌なこともしんどいこともなんとかやりこなしてきた。あの後発売された映像を観てみたら、感覚的には40センチくらいの距離で、今にも触れられそうな距離で見つめあえた気がしたのに、おそらく数メートルはゆうに超えて超えまくっている。もちろんその光景は映ってもないし、本当のことだったのかなあとさえ思う。そうして不安になる度しつこくしつこく母に、「あの時大倉くん私見とったよな?」と確認し、「見とった。」と言い切る母の答えに、薄く擦り切れた大倉くんの視線がまた色を取り戻す。

 

どこにでもいるOLである私は、大倉くんにもらったとびっきり甘いお菓子を、にれかみながら、どうにかこうにかタンタンと毎日を過ごしているのである。