セルフメディケーション

月曜から御めかし系女子が優しい嘘を求める日々を綴るブログ

バリンタン系女子がご褒美にとびっきり甘いお菓子をもらった日のお話

普段私は、月から金曜、月に一度の週末出勤、それでも追い付かない時には追加の休日出勤をしたりしなかったりしながら働く、どこにでもいる普通のOLをしている。キャリアを追いかけるバリキャリでもなければ、職場なんて腰かけ程度でおいしい結婚相手を探すの、などといったキャピキャピもない。夜には繁華街の明かりどころか人っ子ひとりおらず、車の必須な田舎に暮らし、自分が生きるために働く、普通のOLをしている。好きなことを仕事に選んだわけでもなく、かといって嫌で嫌で今すぐ辞めてしまいたいということもない。同僚や上司に恵まれつつも、デスクに向かって書類を整備し、取引先に電話を掛け、来客の対応をする毎日を送っている。

 

そんな私が社会人となり数年して、突然アイドルという趣味に復帰した。きっかけはまたいずれ勝手に書くが、小学生の頃以来にはっきりと知覚したアイドルという存在は、記憶と同じように格好良く、ときめきに溢れ、ひたすら好きしかなかった。

雑誌を読んで、CDを聴いて、DVDを観て、出演する番組を録画した。文字に起こされたインタビューは彼が何を考えているかを教えてくれたし、彼の感情がダイレクトに伝わるCDを何度も何度も何度も聴いた。画面に映る存在はきらきらと明るく、素敵な笑顔を見せてくれた。もちろんそこにコミュニケーションはなく、会話は常に一方通行である。独り言を言う方ではないが、お酒を飲みダラダラと述べる心の声にはもちろん返事がない。それはアイドルという存在に限らず、誰に対してだってそうである。声に出さない限り、詳細な感情は相手に伝わらない。隣にいる誰かにだって、名前を呼び、自分の意思を言葉にしなければ、全てをわかってもらうことなどできるはずがない。

 

確かにそう思っていたし、経験してきた上でその感覚が正しいと信じていた。なのに、平成29年9月10日、その感覚はまるごとひっくり返されてしまった。

 

その日は「関ジャニ'sエイターテインメント ジャム」の最終公演だった。私は前日に新幹線に乗り、初めて九州に上陸した。当日は朝遅くにダラダラと起き、コンサートがあるというのにムーミンカフェに行ったりフクロウカフェに行ったりと、場面で予定を詰め込みまくっていた。

それらの予定を急ぎ足でこなし、いざヤフオク!ドームに向かうとなり、駅を降り「えっ遠っ」となった。田舎者は数十メートルだって車に乗る。加えて大阪の駅すぐの環境に甘やかされていた結果だ。ゾロゾロと同じ場所に向かう人の列に混ざり、川沿いを歩いた。

無事ヤフオク!ドームに着き、何を買うためかは忘れてしまったが、物販に並んだ。そうしていよいよ時間となり、入場列に並んだ。

 

正直、チケットの入場ゲート表示で、ある程度の期待はしていた。それでも持ち上げて落とされるのが怖くて、どうせスタンドのいつもらへん、埋もれるとこだよ、期待するなよ、と自分に言い聞かせていた。

そんな風にドキドキしながらチケットを渡し、返された印字された感熱紙には、アリーナの文字があった。ボーッとしたまま向かった席には、パイプ椅子が置かれていた。

 

コンサートが始まってしまえば、スタンドより圧倒的に見えにくかった。傾斜がなく、しかも、前半はバンドスタイルで、メインステージにいるメンバーに大きな動きもない。肉眼でメンバーをみたいから、一所懸命目を凝らしてみたり、オペラグラスを使うのだけれど、気付けば見やすいスクリーンばかりをオペラグラスで観ている。

楽しい!楽しいんだけど!アリーナってこんな感じか・・・。思っていたアリーナは、縦横無尽に動くトロッコ、間近に降りてくるメンバー、うちわに対するダイレクトな反応。今回はそれらとはまた違うんだ、と思っていた。

 

しかし、声が聞こえるけど姿が見えないとオペラグラスで必死に探したJAM LADYから、空間は私の思うアリーナへ変化した。端から近いこともあり、間近がトロッコを通り、バックステージにメンバーがいる!ムービングステージが上を通り、普段じゃ見えない角度からメンバーがみえる!

興奮しているうちに、時間は怒涛に過ぎていった。ただ、見えやすかったのはバックステージと隣を通る時くらいで、センターステージやメインステージは相変わらずよく見えなかった。それでも、テンションはだだ上がりだった。

 

青春のすべてが終わって余韻に浸りながらも、私は少し寂しさを感じていた。なぜなら大倉くんが隣の通路を通らなかったからだ。みんなもちろんキラキラしていて、こんなに間近で見られてよかった!そう思う気持ちは嘘なんかじゃない本当だけれど、残念に思う気持ちも本当だった。

 

そうしてエイトコールの中、再びメンバーが出てきてくれた。寂しさは吹っ飛び、初めて聴かせてくれるという応答セヨに再びテンションはぶち上がった。メンバーと映画のシーンのスクリーン、どっちを観ればいいのかわからなかった。どっちもよく観れなかった。そしてやっぱり、大倉くんの来ないな、とか思ってしまっていた。

 

その後、本当の最後の曲、I to Uのイントロが流れてきた。イントロが流れ始め、丸ちゃんが歌いだそうとする頃、遂にトロッコはバックステージから大倉くんを乗せ、私の隣の通路を走り出したのだ。

 

その後の一連の動きは、私の頭には2カットしか残っていない。自作のうちわを目の下まで上げて大倉くんの動きを追いかける自分を俯瞰で見ている図と、私を見つめ、頷く大倉くんの図の2カットだ。自分の図はほっといて、大倉くんの図は、光が眩過ぎて、その見つめる視線しか残っていないと言っても過言ではない。

 

声を出さずして、コミュニュケーションを取れてしまった。見つめる目から感情を汲み取られ、そればかりかその感情を肯定されてしまったのだ!!

 

ハッと気付けば、私より隣にいた母がはしゃいでいた。大倉くんあんた見て!!うんうんって言ってたで!!!と。

そして、隣の席にいた方すらも、大倉くん、頷いてくれてましたね、と、微笑みながら声を掛けてくれた。

この隣にいた方には、感謝してもしきれない。おそらく私が持つうちわで大倉担と察したのだろう、大倉くんがこちらの通路を通り近づいて来た瞬間、なんとしゃがんで、私をより大倉くんに見えやすい状態にしてくれたのだ。あの時隣の席だった丸担さん、このご恩は一生忘れません。私もあなたのような人になろうと思います。本当にありがとうございました。

 

その後コンサートは終わり、合流した友人に起こったことを話したが、いまいち感情をうまく伝えることができなかった。本当にお前にしたのかよ・・・思い込みでは?と思われてるかな、と怯んだし、二人の間だけのコミュニュケーションを、1から10の感情すべてを伝えられるか?と思ったが、あの瞬間の感情はきっと、0.1も伝えることができないとわかってしまったからだ。

 

あれからもうすぐ1年が経つ。眩しい照明の中、私を見つめる大倉くんの図を何度も反芻しながら、嫌なこともしんどいこともなんとかやりこなしてきた。あの後発売された映像を観てみたら、感覚的には40センチくらいの距離で、今にも触れられそうな距離で見つめあえた気がしたのに、おそらく数メートルはゆうに超えて超えまくっている。もちろんその光景は映ってもないし、本当のことだったのかなあとさえ思う。そうして不安になる度しつこくしつこく母に、「あの時大倉くん私見とったよな?」と確認し、「見とった。」と言い切る母の答えに、薄く擦り切れた大倉くんの視線がまた色を取り戻す。

 

どこにでもいるOLである私は、大倉くんにもらったとびっきり甘いお菓子を、にれかみながら、どうにかこうにかタンタンと毎日を過ごしているのである。