セルフメディケーション

バリンタン系女子が優しい嘘を求める日々を綴るブログ

歴代の推しを鑑みる

これまで生きて20数年、いろんな方のファンになってきた。記憶にない頃のセーラームーンに始まり、アイドルやバンドマン、スポーツ選手や芸人、そしてまたアイドル。ずっと誰かを思い焦がれることで、その誰かから力をもらって、日常の辛いことや嫌なこと、具体的には向いていないなと感じていたバレエや数学、苦手な顧客への電話を、なんとかやり過ごしてきた。

そんな中ふと、これまで好きになった人たちに、何かしら共通項はあるのだろうかと思った。好みのタイプはどんな人?という質問は、会話の中でも時折用いられる話題である。私がそう尋ねられたとき、今の私であれば「大倉くんみたいな人」と答えるが、中学生の頃は「藤くんみたいな人!」だった。変遷する好みの中でも、何かしらの好みの軸となるようなものがあるのだろうか。そう思い、外見(とこれまでの回顧)を取り上げて考えてみた。

 

1.長野博さん(V6)

小学生の頃、初めて好きになった男性アイドルである(初めて好きになったアイドルは、モー娘。加護ちゃん)。当時は学校へ行こう!全盛期であり、仲のいい幼馴染二人とV6にどっぷりハマっていた。当時から夢を見ていた私は、以前触れたように、既に距離の遠さに泣いており、現実生活に恋愛の対象としてアイドルを混ぜ込んでしまっていた。筋金入りの夢女子である。

そして外見であるが、長野博という文字列を見て思い浮かべるのは、あの笑顔である。くしゃっとした、強いる力のない、優しさしかない微笑みこそが私の中の長野博である。私は彼の笑顔が好きだった、好きだ。そんな笑顔を一番に表しているのはやはり目だろう。太めの眉に、ぱっちり二重の垂れた目。 輪郭はホームベース型で、しっかりと骨ばった男らしい形をしている。薄めの唇に口角の上がったまさしくωな口元はたまらなくキュートだ。年齢なんか関係なくキュートという形容意外に表しようがない。

 

2.藤原基央さん(BUMP OF CHICKEN

中学の3年間はほぼ彼に狂っていた。きっかけはおそらくダンデライオンFlashだったかと思う。一所懸命手伝いをしてお小遣いを稼いでユグドラシルのCDを買い、歌詞カードを学校に持っていったりしていた。部活を嘘ついて休んで行ったRun Rabbit Runツアーの未開封タオルがこの前部屋にて発掘され、この頃から保存用と使用用を買っている・・・と自分の性にしみじみとなった。

彼の顔は薄い。前髪から覗く目は、切れ長の一重である。薄い唇にこれまた口角の上がったωな口。猫のようだといろんな人が思うだろうが、私もそう思う。先述した長野さんは濃いめの顔だと思うが、藤原さんはまさに正反対の顔立ちである。

また、彼の場合、顔はともかく、ほっそりとした身体に私はすごく惹かれていた。この頃はとにかく細身な人が好みだと思っていた。 

 

3.クボタマサヒコさん(ex.BEAT CRUSADERS

好きになったきっかけは覚えていないが、高1からどハマりしていた。キャッチーな音楽はテレビでも使い勝手がいいのか、たまに聞こえることがあり「おっ」となる。初めて行った野外フェスは彼ら主催のイベントで、昼から夜まで行われるイベントは暑く、とても楽しかった。

しかし外見を考えるとなると、この人はこの記事の中で非常に問題児になってしまう。今クボタさんの名前を検索すれば普通に画像が出てくるが、このバンドの時は顔写真を加工した、簡素な白黒のドット絵のようなお面を常にしており(映像ではそのお面の顔を貼り付け加工している)実際の顔を見ることができなかった。ライブに行けばお面は外され顔を見ることができたが、そんな状況で顔を覚えて帰ることはできなかった。ただ私はそんなお面に恋をしまくっていたのだ。そう思えば、彼に対しては顔ではなく性格や立ち位置が好きだったのかなとも思う。あと見える限りの外見、細身な身体も好きだった。ここは藤原さんからの流れを汲める。

 

4.菅広文さん(ロザン)

この人も好きになったきっかけは覚えていないが、高2くらいに好きになった。ちちんぷいぷいとよ~いドン!を毎週録画し、塾から帰った後の楽しみにしていたことを覚えている。大阪駅の桜橋口にも意味もなく行ったりした。大学生になって、収録している口が変わってから遠巻きに見に行ったこともあった。これまた男前ランキング入賞者に作られたうちわが家に2つある。保存用は大事だ。

体型の流れはぶっちゃけここで流れが止まる。小さく、細くはないフォルムは、菅ちゃんという存在を引き立てるに不可欠だ。体系はともかく、彼はとにかく顔がいい。年齢をわからなくさせる童顔に、もうかわいいとしか言えなくなるが、かわいいのは表情であり、道具だけを見ると、かわいいというよりは男前だなと思う。これまた太めの眉に垂れた目。ただ体格はこれまでの流れを全く汲んでいない。

また、外見だけの話をしているが、似ていると思う渋谷すばるさんには、菅さんほどどハマりすることはなかった。違いは自分でもわからない。

 

5.ロジャー・テイラーさん(Queen

大学生になり、ニコニコ動画で知っている洋楽をいろいろ探して聴いていた頃に、Queenの曲に惹かれ、好きになった。部活の合宿で恋バナになり、これ私の彼氏!と携帯の待ち受けにしていた彼の画像を見せたらバカうけしたことを覚えている。夢女子は国の違いも物ともせず、彼の家の下働きとして働くことから始まるめくるめくストーリーが産まれていた。

金髪碧眼で長い脚といういかにも外国人な風貌。ロジャー・テイラーという名前で思い浮かべるのは、やっぱり来日時くらいの長髪な外見だが、私が一番好きなのはThe Gameくらいの、ちょっと落ち着いた短髪が好きだ。彼もやっぱり垂れ目。ちょっと共通項が見えてきた。

 

6.内田篤人さん(鹿島アントラーズ

おりしも時期はワールドカップ、ただ私がハマったのは終わった直後だったと思う。サッカーを観るようになったはっきりとしたきっかけはこれまた忘れてしまったが、どこかで見た内田選手の画像ではなかっただろうか。時代の波に乗り、私も例に漏れず「うギャル」となった。

ぱっちりとした並行二重に垂れ目。なにより内田選手も笑顔をよく見せてくれる。目尻のしわが、なんだか微笑ましくて好きだ。思い浮かべた表情は、これまた菅さんと同じように笑顔なのだが、試合前などの精悍な表情はとても美しい。この人も道具が綺麗だ。

 

7.佐藤晃大さん(徳島ヴォルティス

内田選手からハマったサッカーは、当時地元出身の選手がいたということでガンバ大阪に流れ着いた。応援した頃に移籍してきたのが佐藤選手である。そのすぐの頃に練習見学に行って、握手をお願いした時に、しっかり目を見て対応してもらえたことで、あっこの人応援する、とサッカーと全然関係ないところで落ちてしまった(正直今でもプレーの専門的なところは全くわからず、完成に感覚で観ている)。

先述した通り、中身で好きになったため、正直顔が特別好みというわけではない。この頃には垂れ目が好きだという自覚があったが、この人はどちらかいうととつり目だ。体は長身で、スポーツ選手らしい細身をしている。

 

8.久保康友さん(シュガーランド・スキーターズ

ワールドカップでサッカーにハマりスポーツを観るようになり、次はWBCが巷を賑わしていた。インターネットで見かけた鳥谷選手の画像に、何この人格好いい!となり、野球を観に行くことにした。ミーハー以外の何者でもない。

そして出身が出身ということもあり、野球といえば阪神以外はありえないという教育を幼少期からされていた。そのためもちろん甲子園へ行き、サンテレビを観ていたのだが、なぜ久保選手を好きになったのかは、これもはっきり覚えていない。野球も完全に感覚で観ている。

ただ好きになったのは外見ではなかった。この人もどちらかというとつり目の長身細身。スポーツ選手はこういうタイプを好きになる傾向でもあるのか?この人の魅力はわけのわからない性格だと思っている。

 

9.大倉忠義さん(関ジャニ∞

そんなスポーツ漬けの日々から一転、社会人になった私は巡り巡ってジャニーズに帰ってきた。

いつものように動画サイトを徘徊し、〇〇年代の売り上げランキングみたいな動画を見ている、ファンタスティポが入っていた。その一瞬のPVに、「えっ堂本剛めっちゃかわいいやん・・・?!」となったのがきっかけだ。堂本剛さんは、私の止まっていたジャニーズという歯車を回してくれた潤滑油である。

そこから何故関ジャニに辿り着いたのかといえば、幼馴染が長年の丸担であり、あんよは上手と手を取ってくれたおかげだ。すり込み・洗脳ありがとう。

さて、彼の顔といえば言わずもがな美しい。美人であり、笑顔がかわいい。こういう単純な形容しかできないが、これ以外の言葉も見つからない。顔でご飯を食べているのだから当然である。

道具を考えてみれば、彼の特徴といえば鼻ではないだろうか。高くしっかりとした鼻は、誰かが言っていたように横から見れば確かに新幹線のようで惚れ惚れする。綺麗だ。この人もやっぱり垂れ目。

 

10.増田貴久さん

ジャニーズに戻った頃から気になる存在ではあったが、愛が生まれた(?)のは、どこかで10周年コンサートのチャンカパーナの映像を観たときである。「この世にも天使がいたのさ」の箇所がとびきり良く、「天使」って自分のことでしょう?と疑わないくらい可愛かった。ただ映像は買って観たり、動向は追いかけてるけどファンクラブまでは、と思っていたが、アニバコンの気配を察して急いで入ったが最後、完全に“増田担”であると自覚した。

増田さんといえば、やっぱり笑顔だと思う。真顔だってもちろんもちろん格好いいけれど、彼の名を見て思い出すのはやっぱり笑顔だ。顔の道具自体はあっさり目の造りをしている。あの可愛らしらは表情が作り出しているものであり、やっぱり彼はアイドルだなと思う。

 

11.薮宏太さん

存在は小学生の頃から知っていた。小学生の頃にV6目当てで買ったduetにYa-Ya-yahとして載っていたことを克明に覚えている。ただ気になりだしたのはごくごく最近、「ウチの夫は仕事ができない」に出演していたのを観てからで、なのに何故ここに挙げたかというと、ジャニショで意識を飛ばし狂ったように薮くんの写真を買ってしまっていたからである。

彼もやっぱり笑顔の人だと思う。薮くんのあの笑顔を見るたび、心の中で「おじいちゃんやん・・・」と呟いている。本当に可愛い。大好き。

 

以上がこれまでの(一応)推しである。最後になるにつれ飽きてきた感が否めないが、とりあえずやりきった。

こうして挙げてみて、大まかな共通点の平均としては

・垂れ目

・長身

・細身

だろうか。

たしかにこのワードだけでもときめく部分はある。

また、私が何かにハマるたびに付き合わされる母が総合してだしてくれて答えは「頬骨」である。頬骨の出っ張ってる感じの人が好きではないかということだが、なるほど!!と自分のことながら全く気づかず納得した。あと、この記事を書くにあたって、各人を画像検索したのだが、薮くんと長野さんが似ていてちょっと驚いた。

 

そして、挙げた人を合成して一枚の画像を作ってみた。画像を貼っては角度を変え位置を合わせ透過してを繰り返した、デジタルなのにアナログな作品である。

f:id:effulgence:20180811012239p:image

挙げた順に重ねたので最後の薮くん要素が強い・・・。この人には残念ながらときめかない。時間の無駄でした。

いちごになれなかった人の気持ち

味の素スタジアムで行われるNEWSのコンサートだが、ファンクラブ先行も復活当選も一般当選もだめだった。チケットを取ることができなかった。私の席はご用意されなかったのだ。会場からは遠方なため、制作開放席があったとしても対象外だろう。私はNEWSのアニバコンに行くことができない。

 

今のこの感情は簡単に表すことができる。まさしく“拗ね”だ。私はNEWSに選ばれなかった!ド新規のかわいくないデブでひねくれ者の私なんか来なくていいんだ!どうせ!!フン!!!という拗ねだ。

もちろん、メンバーが応募した人のプロフィールをいちいち見て、この人は来てほしい、この人は来なくていいかな・・・と選ったわけがない。私を選ばなかったのはあくまでコンピュータであり、私はNEWSではなく、コンピュータと電話回線に選ばれなかったのだ。それは、運以外の何者でもない。

 

私は、ジャニーズはもちろん、その中でもNEWSに関しては、EPCOTIAツアーの終盤、15周年アニバコンの匂いを嗅ぎつけてからファンクラブ に入った程には、てきめん(?)ド新規だ。そんなド新規だって、会場で一緒に15周年を祝いたかった。祝いたいという気持ちに貴賎はない。方向は多様にあれど、気持ち自体は皆同じだ。

ただ、その気持ちの重さには差があるかもしれない。私は確かにその場で一緒に楽しみ、これまでを祝い、これからを願いたい。けれど、私以上にその気持ちを深く、重く抱いている人もいるだろう。これまであった色々に、これからを描く未来にすがる方だっているだろう。

私にご用意されるはずだったチケットは、そういう人の元へ行ったのだ。

 

スピリチュアルで胡散くさかろうが、そうでも思わないとやってられない!ただよしくんの束縛がキツ過ぎて他のグループ観に行かしてくれない・・・って夢女子にならないとやってられない!そういう風に自分を清純だ真っ当だ愛されてる〜!!と宥めすかさないとすぐに拗ねをこじらせるんだから!

 

はてなブログのジャニーズのカテゴリを見ていても、味スタに向けての持ち物指南等のエントリがちらほらと見られる。こんな年になっても、手放しで皆のウキウキした様子を見つめられるほど人間はできていない。自分でも嫌になるが、私だってい゛き゛た゛い゛!!!!という気持ちが真っ先に出て来てしまうのだ。さながら、遠足の用意をしている兄弟を見ている未就学児のようである。

 

行けねーよチケットがねーんだよフン!!!もういいモン!!!!という拗ねの気持ちが一番本当だが、当日は好天に恵まれ、かつ気温や日差しもひどくなくいい感じに夏感があり、トラブルもなくただただその場にいる人が楽しめる1日であればいいと思う気持ちも、これまた本当の気持ちである。行かれる方は体調に気をつけてひたすら楽しんでください。行けない私たちは、拗ねつつ楽しくすてきな一日を願いつつ、涼しい部屋で映像化を待ち過ごしましょう。

 

しかし相場理解やなんやかんやで出品されるチケットの数々、あれどうにかして私の手元に来ないもんですかね。お金がないので事務所に入る定価以上は出せませんけどね。

 

追記 8/1 12:39)

改題しました。改題だけでもいちいち新規投稿として上がってしまうのか?もしそうならすみません。

グッズのアプリができたよメールがきましたね。便利な世の中になったもんです。行けないけど・・・行けない。

ファンとしてのスタンス

私は常々「この世に絶対はない」と思っている。絶対明日生きていられる保証もなければ、想像する不安しかない未来を絶対迎えなければいけないこともない。絶対がないというのは、ネガティブでもありポジティブだ。この世に絶対は絶対ない。来年私はこの田舎を出て、東京に暮らしているかもしれない。その東京で、大好きなアイドルに出会い、恋に落ち、結婚するかもしれないのだ。

 

この界隈の言葉にはいまいちまだ疎いが、「リア恋」という言葉がある。「リアルに(もしくは、な)恋」の略であると思うが、つまり、現実味のない相手にリアルで恋をしてしまう、的な意味なのだろう。

そもそも恋ってなんだろう。別に哲学的な話に発展するわけではないが、ちょろっと調べてみれば、「特定の人に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。」という意味らしい。その感情がリアル、現実の自分に即しているのがリア恋。学生なら学生の、社会人なら社会人の、主婦なら主婦の生活の中に、アイドルを組み込み恋をするのがリア恋。

 

絶対は絶対にない。アイドルと私が絶対に結婚しないなんてきっと、私はもちろん他人だって、誰も断言できない。断言させない。

絶対は絶対にない私の妄想のバリエーションはそれはもう膨大だ。こんなクソ田舎にロケに来た彼に偶然出会い始まる遠距離恋愛、東京へ遊びに行った私が落とした携帯電話を拾ってくれた彼は私の電話番号を訊いてくれるし、コンサート会場で私に運命的に出会ってしまった彼は、コンサートそっちのけで私の手を取り抱きしめてくれる。毎日こんなことばかり考えていて、それらは全て私の日常に即した彼だ。

 

しかし現実は、こんなクソ田舎にはロケも来やしないし、旅先で携帯を落とすなんか真っ平ごめんで大事に大事に抱え込んでいるし、コンサートなんかああまあまあ・・・ねみたいなスタンドがほとんどだ。小5かそこらで、出せない手紙を聴きながら長野博さんとの距離の遠さに泣いた日以来、とりあえず今のところ、彼らと自分のこの距離に絶望して泣いていることもない。絶対は絶対にない。そう思った上で、自分の立場と彼らとの距離を理解している。普通に日々を生きている。もちろん妄想が現実になれば、それほど嬉しいことはないが。

 

そんな私のファンとしてのスタンスは、手越さんの「プラトニック」の歌詞である。

ボーッと聴いているときは、とても好きな曲ではあったが、「ああ恋愛の歌・・・不倫かな?」くらいにしか捉えてなかった。しかし、聴けば聴くほど、対アイドルとしての曲に思えたのだ。

 

絶対は絶対にない。ただ、事実として、彼らは手の届かない、私を認知することのない、遥かに離れた場所にある。私たちの世界は交わらない。ベン図を描いても塗りつぶせない。

そのように遠い存在を愛し、憧れることを許されている。焦がれることを咎められることはない。しかしそれは一方通行で、恒常的なコミュニケーションは、そこには、決してない。好きだよなんて言葉は伝えられないし、伝えたところで、未来なんて変わらない。約束もできない私たちが会えるのは、主にコンサートの会場である。一方的に見つめる時間には明確に終わりがあり、この時間が終わらなければとどれほど思っただろう。

 

私は彼らに優しい嘘をついてほしいのだ。見せてくれる夢が短くてもいい。思いが叶いっこない悲しい恋でしかなくたっていい。憧れる、思う限り、優しい嘘をついていてほしいのだ。

 

いい年をした男性に恋人がいないわけがない。ましてやあんなに素敵な人に、素敵な人がひしめく世界にいて、恋人ができないわけがない。誰かに触れたいと、抱きしめられたいと思わないわけがない。そんなことは、あまり良くない頭でもしっかりわかっている。ただ、その現実を突き付けられて受け入れるには、私の器は狭すぎる。

 

正直、知らなければ何をしていたっていい。だって知ることがないのだから。知らないことは好きにもなれないし、もちろん嫌いにもなれない。知らなければ、それはないことと同じなのだ。

アイドルという仕事は因果なものだ。自分どころか、他人にも作用してしまう。しかしそれがアイドルという存在だ。普通に生きていく以上に、人の人生に、良くも悪くも影響を与えてしまう。そしてその人生を選んだのは、他でもなく私が愛する彼らだ。そんな彼らの人生に触れられる私はきっと幸せだ。綺麗な嘘で私を包もうと努める彼らを愛せる私は。見て見ぬふりをできる私は。

 

当たり前を生きる誰も悪くない。ただ、アイドルは嘘をつくのも仕事であってほしいと思う。

付け入る隙を残してほしいのだ。彼らのつく嘘は、今の延長線上で交わるとは思えない私たちの人生が重なる瞬間を想像することを、許してくれる。知り得ない体温に溶けることを、見逃してくれる。

 

 

また、ファンとしてのスタンスとして、私はもう一つの歌詞をたずさえている。それは久保田早紀さんの、異邦人の一節である。

あなたにとって私 ただの通りすがり
ちょっとふり向いてみただけの 異邦人

ロッコから頷いてくれたそれは、たしかに私と大倉くんの間に発生したコミュニケーションだった。それはきっと間違いないと思う。ここには都合よく、絶対しかない意味で絶対を使う。

しかし、それを覚えているのは、恐らく私だけだろう。大倉くんにとって、私はちょっとふり向いてみただけの異邦人なのだ。日常を犯すことのない、敵意のない、そこにいた人。それできっと間違いはない。お互い正しい立場にある。

 

ただ、しつこいけれど、絶対は絶対にない。これから先、来年、再来年、5年後10年後、もしかしたらもしかしているかもしれない。そんな未来を妄想しながら、私は田舎で日常を生きて、携帯を大事に握りしめながら、可もなく不可もない席でペンライトを振り続けているのだろう。